9月になったよ。

好きなことが多くて困る。

どれも好きだけど、浅いので、中途半端なので、さらに困る。


きっと、心からそれを信頼したり、努力していったりできないから、そういう風になるのだと思う。




映画鑑賞

読書

食べること

料理

絵を描く

美術館にいく

クラシック鑑賞

ライブ鑑賞

文房具屋めぐり

政治や国際情勢について調べること

環境について考える

スピリチュアルなこと 占い

散歩

俳句

語学学習

寝ること

スケジュール管理(目標を立てること)

買い物

メイク



今月は、色々やって、反省や感想的なものをきちんと考えたり書いていこうと思う。。



自分の本当の好きなことや、合うものを探していきたいな。。

優しさということ。

人から、よく優しいね と言われることがある。

そのたびに、私は自分が本当は優しくないのだと強く感じている。

私は私よりもたくさん優しい人を知っていて、全くそう思うことができないのだ。

未だに優しさとはなにか、よくわかっていない。

私は昔から、とても気にしいで、変わってるといわれることもたくさんあるので、きっと人よりも、悲しんだ数がちょっとだけ多いような、そんな自信はある。

もちろん悲しんだ回数と、悲しさの深さや痛みが違うことも、人によって悲しさの種類がたくさんあることも、そのかたちや色、感じ方が違うということもなんとなく、わかる。

だけど、それ以上にわかるのは、悲しみは、たとえ丸ごと共感することができなくても、それでも、ちゃんと手を差し伸べることできっと癒えるということだ。優しさは何か分からなくても、そうすることの大切さを知っている。

私はそれを優しさと呼びたい。

私にとって、優しさとは辛さや悲しみの存在があるからこそ成り立つものなのかもしれない。

私が優しいと考えている行為は、もしかすると全然優しさとは言えないのかもしれない。

きっと、世の中にはパズルを解くように、方程式をつくって慰めの正解を導き出す人はたくさん存在しているのだろう。

でも私はいつも決まって、悲しんでる人を前にどんな言葉を投げかければいいのか、分からなくなる。優しさが上手くないから、私にとっての優しさはいつも、言葉にならない、いびつなかたちになる。

好きなお菓子を買ってくることや、お腹をくすぐってみること、特に意味のないことを繰り広げてみることなど。それらの行為を重ねて自分なりに導き出しているから、それは優しさとは言えないのかもしれない。

けれど、ひとつだけ自信を持っていえるのは、その人を見放さないという強さがあるということ。

たとえかたちが違ったとしても、その思いや本質は同じだから、必ず分かり合えると、分からないなりに、優しくなりたいと日々思っている。

猫。

最近すごく猫が飼いたいと思うようになりまして。。


昔から動物をずっと飼いたかったのですが、

マンションなのでダメ!ということと、母が動物が苦手なのであまりお世話がしたくないとの理由で許可されていませんでした。

その反動からか、今になって、すごく飼ってみたいなぁと。


そして、私は一度ホームステイした外国のお家が猫を飼っていたので、一緒に生活したことがあります。


初めはつんとしていた猫ちゃんが仲良くなるにつれて、寝ているときにベットの上に乗ってきてくれるようになったて、たまらなく愛おしい、、と


猫と一緒に暮らす体験をして、心が豊かになる気がしました。


気ままに生活する猫ちゃんを見ていると、羨ましくて、あー、癒されるなっと思います。


命あるもののお世話は大変だろうけど。


もしお家に迎え入れるなら、引き取り手を待っている保護センターの子を連れて帰るかな、、